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عبارات مقترحة:

الجميل

كلمة (الجميل) في اللغة صفة على وزن (فعيل) من الجمال وهو الحُسن،...

الأحد

كلمة (الأحد) في اللغة لها معنيانِ؛ أحدهما: أولُ العَدَد،...

المبين

كلمة (المُبِين) في اللغة اسمُ فاعل من الفعل (أبان)، ومعناه:...

アッラーの美名

اليابانية - 日本語

المؤلف ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー ، サイード佐藤
القسم مقالات
النوع نصي
اللغة اليابانية - 日本語
المفردات التوحيد
مقالة مقتبسة من كتاب مختصر الفقه الإسلامي للشيخ محمد بن إبراهيم التويجري - أثابه الله - وتحتوي على بعض أسماء الله الحسنى مع شرحها باختصار.

التفاصيل

9-イーマーンの諸特質 ● アッラーの使徒ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)への愛: アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)はこう伝えています:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:“私があなた方の父や子、はたまた(その他)全ての者よりも愛しい者とならなければ、真に信仰したことにはならない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[1]) ● アンサール[2]への愛: アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)によると、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「イーマーンのしるしの1つは、アンサールへの愛である。そしてニファーク(偽信)のしるしの1つは、アンサールに対する憎しみである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3]) ● 信仰者への愛: アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言われました:“あなた方は信仰に入るまで天国に入らないだろう。そしてあなた方はお互いに愛し合うようになるまで、信仰には入らないだろう。ではそれをすればお互いに愛し合うようになるものを教えてやろうか?あなた方の間でサラーム(挨拶)を広めるのだ。"」(ムスリムの伝承[4]) ● ムスリム同胞への愛: アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)によると、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「自分に欲するものを自分の兄弟‐1説には自分の隣人‐にも欲するようになるまでは、あなた方は本当に信仰したことにはならない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5]) ● 隣人及び客人を厚遇し、よいこと以外は話さないこと: アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によるとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーと審判の日を信ずる者は、よいことを喋るか、さもなくば黙っていよ。アッラーと審判の日を信ずる者は、隣人を厚遇せよ。そしてアッラーと審判の日を信ずる者は、客人を手厚くもてなすのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[6]) ● 勧善懲悪: アブー・サイード・アル=フドリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言われるのを聞きました:“悪事を目にした者は、それを手でもって正せ。もしそう出来なければ、舌でもって正せ。そしてそれさえも出来なければ、心でもって正すのだ。そしてそれが最も弱いイーマーンである。」(ムスリムの伝承[7]) ● 助言: タミーム・アッ=ダーリー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「“宗教とは助言である。"私たちは言いました:“誰に対する(助言ですか)?"(預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は)言いました:“アッラーとその啓典と、その使徒、そしてムスリムの指導者たち及び一般の者たちに対する助言である。"」[8](ムスリムの伝承[9]) ● イーマーンは最良の行い: アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によると、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はある者からこう尋ねられました:「どのような行いが最良のものですか?」(彼は答えて)言いました:「アッラーとその使徒を信じることだ。」すると(その男は)言いました:「その次は何ですか?」(彼は答えて)言いました:「アッラーの道において奮闘することだ。」するとまた(その男は)言いました:「それではその次は?」(彼は答えて)言いました:「正しく行われ、かつ(アッラーによって)受け入れられたハッジ(大巡礼)だ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[10]) ● イーマーンは服従行為によって増加し、不服従によって減少する: 1-至高のアッラーはこう仰られました:-かれ(アッラーのこと)こそは、(以前から彼らが備えていた)イーマーンの上に更なるイーマーンを増大させるべく、ムウミン(イーマーンの徒)たちの心の中に静寂を下されたお方である。,(クルアーン48:4) 2-至高のアッラーはこう仰られました:-そして(クルアーンの)ある章句が啓示されると、人々の中には「このクルアーンによって、あなた方の内の誰のイーマーンが増大するというのだ?」などと(嘲笑して)言う者がいる。(しかしながら)そう、信仰する者たちこそがそれを喜々として迎え入れ、それによってイーマーンの増大を勝ち得るのである。,(クルアーン9:124) 3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「姦淫を犯す者は、ムウミン(イーマーンの徒)である状態の時に姦淫する事はない。また盗人はムウミン(イーマーンの徒)である状態の時に盗みを犯すことはない。またムウミン(イーマーンの徒)である状態の時に人が飲酒することはない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[11]) 4-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)が預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝えるところによれば、彼はこう言った:「“アッラー以外に真に崇拝されるべきものはなし。"と言い、その心に1本の小麦ほどの重さでも善を有する者は、地獄の業火から救い出されよう。また“アッラー以外に真に崇拝されるべきものはなし。"と言い、その心に1本の大麦ほどの重さでも善を有する者は、地獄の業火から救い出されよう。また“アッラー以外に真に崇拝されるべきものはなし。"と言い、その心に1匹の蟻ほどの重さでも善を有する者は地獄の業火から救い出されよう。」尚、別の伝承では“善"の代わりに“イーマーン"という言葉があてられています。(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[12]) ● イスラーム改宗前に行ったこと: 1-イスラームに改宗した者は、その後イスラームの教えに則って自らを正すならば、改宗以前に犯した悪事は赦される。崇高なるアッラーは仰られた:-(ムハンマドよ、)不信仰者たちにこう言うのだ。「あなた方が(ムスリムに対する敵意や迫害、)あるいは不信仰といった態度に固執するなら、(その罪と預言者たちへの不服従から天罰を下されて滅びた)以前の民と同じ道を踏襲することになろう。」,(クルアーン6:38) 2-またイスラームに改宗しても、それ以前に行った善行はそのまま残り、それによって報奨が与えられます。ハキーム・ブン・ヒザーム(彼にアッラーのご満悦あれ)はある時、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)にこう言いました:「あなたは(イスラーム以前の)無明時代に私が努めた善行を御覧になられたかと思います。果たしてそれらは私のためになるのでしょうか?」するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「あなたは、あなたが以前行っていた善行を携えてムスリムとなったのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[13]) 3-しかしイスラームに改宗しても、イスラームの教えに則って自らを正すことがない場合、彼は改宗以前と以後の罪を問われることになります。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「イスラームの教えに良く則った者は、(イスラーム以前の)無明時代に彼が犯した物事について問われない。しかしイスラームの教えに良く則らない者は、(彼のイスラーム改宗)以前と以後に犯した物事について問われることになるのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[14]) [1] サヒーフ・アル=ブハーリー(15)、サヒーフ・ムスリム(44)。文章はアル=ブハーリーのもの。 [2] 訳者注:マッカの信仰者たちが迫害を逃れてマディーナへ移住した際、当地で財や住居などを提供しつつ彼らを援助したムスリムたち。 [3] サヒーフ・アル=ブハーリー(17)、サヒーフ・ムスリム(74)。文章はムスリムのもの。 [4] サヒーフ・ムスリム(54)。 [5] サヒーフ・アル=ブハーリー(13)、サヒーフ・ムスリム(45)。文章はムスリムのもの。 [6] サヒーフ・アル=ブハーリー(6018)、サヒーフ・ムスリム(47)。文章はムスリムのもの。 [7] サヒーフ・ムスリム(49)。 [8] 訳者注:イマーム・アン=ナワウィーのサヒーフ・ムスリム注釈によれば、「アッラーへの助言」とはかれへの信仰、シルクの回避、かれをあらゆる欠陥から無縁な存在として讃美すること、かれへの服従、かれへの愛など諸々のことを指しているという。実際のところアッラーはそのしもべからの助言などは必要とはされないが、ここでの「助言」という言葉はしもべ自身に向けてのそれを表している。また「その啓典」に対する助言とは、それがアッラーの御言葉であり、かれからの啓示であること、またそれが他のいかなる言葉にも似ておらず、いかなる者もそれに匹敵するものを創作出来ないことなどを信仰し、また正しい朗誦と畏怖の念をもってそれを読誦すること、熟読吟味しかつそれを訓戒とすること、それを学びかつ実践することなどを意味するという。「その使徒たち」に対する「助言」とは、彼らと彼らが携えて到来したものを信仰すること、彼らへの服従、尊敬、彼らの生き方や人格の模倣、その教えの布教、彼らの教友たちを愛することなどが含まれる。また「ムスリムの指導者たち」に対する「助言」とは、真実において彼らを援助し、服従し、穏和な手段をもって勧告し、忘れている事を想起させ、彼らのために祈願し、見捨てたりしないことなどが挙げられる。一方「一般の者たち」に対する「助言」とは、彼らを現世と来世における福利のために導くこと、害悪から守ること、無知を除去してやること、言葉と行いでもって援助すること、恥部を隠してやること、同情すること、騙したり嫉妬したりしないこと、自ら欲することを彼らにも欲することなどを意味するという。 [9] サヒーフ・ムスリム(55)。 [10] サヒーフ・アル=ブハーリー(26)、サヒーフ・ムスリム(83)。文章はアル=ブハーリーのもの。 [11] サヒーフ・アル=ブハーリー(2475)、サヒーフ・ムスリム(57)。文章はムスリムのもの。 [12] サヒーフ・アル=ブハーリー(44)、サヒーフ・ムスリム(193)。文章はアル=ブハーリーのもの。 [13] サヒーフ・アル=ブハーリー(1436)、サヒーフ・ムスリム(123)。文章はムスリムのもの。 [14] サヒーフ・アル=ブハーリー(6921)、サヒーフ・ムスリム(120)。文章はムスリムのもの。